海人は挑戦する。

三高の歴史は、挑戦の歴史。

そして挑戦には、安心して立てる場所が必要だ。

国籍も、年齢も、これまでの道のりも違う仲間たちが、

支えあいながら、それぞれの挑戦を続けています。

人の可能性を信じること。

それも、三高の大切な仕事です。

鴨澤 友美
01

船舶部 自社船支援課

鴨澤 友美

01

HEARTSat SEA.

海で生きる人。陸で支える人。

沖へ出る人がいる。岸でその帰りを待つ人がいる。

命を懸けて魚を獲る人と、365日その命を見守る人。

年が離れていても、国籍が違っていても、

船が出るたびに生まれる絆がある。

三高の海の仕事は、そういう人たちの想いでできている。

沖へ出る人がいる。岸でその帰りを待つ人がいる。

命を懸けて魚を獲る人と、

365日その命を見守る人。

年が離れていても、国籍が違っていても、

船が出るたびに生まれる絆がある。

三高の海の仕事は、

そういう人たちの想いでできている。

鴨澤 友美
01

船舶部 自社船支援課

鴨澤 友美

船員たちの”アンマー“と呼ばれて。“アンマー”と呼ばれて。

沖縄の漁業は高齢化が進んでいる。やめていく船と人が続出するなか、三高は4隻を維持し、若い船員を増やそうとしている。社内横断でチームを組み、船舶部を盛り上げようという動きも始まった。勤続31年。船員たちの“アンマー(母)”と呼ばれる鴨澤さんの目は、まだ先を見ている。「沖縄の水産業界をもう一度強くしたい」。

2025年には各船に洋上Wi-Fiを導入した。出港すれば、入港するまで連絡が取りづらかったが、Wi-Fiひとつで音声や映像でリアルタイムに状況を確認できるようになった。「これは改革に近い、大きな出来事でした」。

鴨澤さんの仕事は、船員のケアだ。食料の買い出しから、病院への付き添いまで。とことん寄り添う。「野菜はちゃんと食べるようにね」と詰め込んで、海へ送り出す。特に若い船員やインドネシア人の船員たちの力になればと、365日連絡を取り合う。

長い歴史のなかで、沈んだ船を見送った。帰らなかった船員もいる。「慣れることは、きっと一生ないですね」という。命を懸けながら、まぐろを獲ってきてくれる人がいること。そのことを、もっと多くの人に知ってほしいと願う。

末吉 大清
02

第8海皇丸 乗船員

末吉 大清

若き漁師、大海原の真ん中へ。

宮古島のおじいちゃんがイカ漁師だった。子どもの頃、何度か船に乗せてもらったことがある。気づけば水産高校に進み、自分も船に乗っていた。「きっかけは、よくわからないんですけど」と笑う。でも、海のそばにいることが自然だった。

仕事は、はえ縄漁だ。針1800本の仕掛けを海に沈めて、引き上げる。朝5時、全員で投縄を始めて5時間。昼の1時から揚縄に入り、長ければ翌朝まで続く。船員にはインドネシア人の仲間がいる。カタコト語の日本語での会話を通じて、「彼らは真面目で、本当に優しい」。周りの日本人船員は60代、70代ばかりだから、みんなに孫のように可愛がってもらえる。仕事は体力勝負で、過酷だ。漁場に出ればスマホも自由には使えない。友達とも話せない。それでも、「余計なことを考えなくてすむから気持ちがラク」だという。海の上で、野生のイルカやクジラを見て、満天の星空を仰ぐ。それでしあわせだと思えるようになった。

月収や漁獲成果に基づく配当制度にも満足している。将来の夢は船長になり、自分の船を持つこと。「自分で漁場を選んで、まぐろをたくさん獲りたい」。そしていまの夢は、同世代の若い船員と出会い、三高をもりあげていくことだ。

02

NEW EYES,NEXT SEA.

違う海を越えてきたふたり。

食品メーカーでの経営含め食品業界30年の経験者と、東京でデザインの仕事をしていた沖縄出身の男。それぞれが大きくキャリアを変え、三高という船に乗り込んだ。外の目が見えるもの、歩いてきた道が教えてくれること。新たなチャレンジを選んだふたりが見据える、三高の“次”。

食品メーカーでの経営含め

食品業界30年の経験者と、東京でデザインの仕事をしていた沖縄出身の男。

それぞれが大きくキャリアを変え、

三高という船に乗り込んだ。

外の目が見えるもの、

歩いてきた道が教えてくれること。

新たなチャレンジを選んだ

ふたりが見据える、三高の“次”。

岡田 裕之
03

取締役副社長

岡田 裕之

まだ知らない海へ、世界へ。

総合商社で30年以上、食品の世界を歩いてきた。国内外の食品メーカーの取締役を務め、その後はインドネシアへ。ゼロの状態からチーズ工場を立ち上げ、社長として150名規模まで育てた。三高に引き寄せられたのは、その事業モデルだった。「漁から加工、販売まで。川上から川下までをこの規模でやっている会社はそう多くありません。しかも現場に入りながら経営ができる。自分の経験が、この会社の成長につながるかもしれないと思ったんです」。

水産も人材も、未知の領域だ。だからこそ、先入観は持たない。まずは現場を知り、人を知り、ありのままを理解することから始める。「変化を導入するときは、会社のためだけでは続かない。当事者本人にとってどんなメリットがあるのか、丁寧に共有しないと壁ができてしまうんです」。実は、沖縄のまぐろに、正直そこまで期待していなかった。ところが現場に立つと、その印象はすぐ覆された。沖縄らしいサステナブルな漁法。一本一本、人の手で扱われる天然まぐろ。地元の食卓に根付く文化。そして、その価値を信じて働く人たち。「これはもっと世の中に知られるべきだ」。そう確信した。

岡田さんが見据えるのは、「三高 琉球天然まぐろ」のブランド化。そして、天然資源だけに頼らない、新たな柱の事業化だ。さらに、インドネシア人スタッフたちを次代のリーダーへ育てることも、大きな挑戦のひとつ。「三高は、チャレンジを大切にしてきた会社です。その歴史と可能性の真ん中に、自分の経験を持ち込めた。キャリアの集大成としてではなく、新しい挑戦の途中だからこそ、できることがあると信じています」。

大城 正裕
04

特定技能営業・船舶サポート

大城 正裕

帰る理由は、ひとつじゃない。

18歳で沖縄を離れた。東京でラグジュアリーブランドの店舗装飾を手がける会社で長年キャリアを築き、家庭を持ち、長い時間を関東で過ごした。

40代に入ったころ、気づいた。仕事は夜まで続き、家族とほとんど話せていない。「子どもたちが小学校高学年のうちに、いま動かなければもう帰れない。だから仕事も決めずに、戻ることを決めました。Uターンと同時に家も建てた。後戻りできない状況を自分でつくったんです」。

もともと海が好きで、船舶免許も持っていた。求人に「まぐろ」と「漁船」という言葉を見つけたとき、ここだと思った。いまは特定技能営業として、インドネシアの人材と受け入れ企業をつなぎながら、船舶部門のサポートも担っている。「どんな形でも、自分の経験を活かして役に立ちたい。その気持ちがずっと根っこにあります」。

漁から加工、スーパー、飲食店まで一気通貫でつなぐ三高の仕事を見ながら、ひとつのことを考えている。「この流れの"間"に、まだ拾えるものがあるはず。観光かもしれないし、クルーザーかもしれない。いまある事業の延長線上に、まだ見えてない可能性がある気がして」。

週末は、息子の少年野球に付き添う。家族と過ごす時間が、自分の土台だ。仕事も、家族との時間も。あの日沖縄に帰ると決めた理由は、いまも変わっていない。

03

THIS
ISLAND
OUR HOME.

この海で、仲間になった。

私たちはインドネシアから来た。

海が好きで、魚が好きで、この島を選んだ。

最初は言葉がわからなかった。文化も違った。

失敗しても、次があった。

「優しく教えてもらえた」という言葉が、みんな共通している。

約60名が三高で働き、それぞれの夢を育てながら、

まぐろをさばき、料理を作り、後輩を迎え入れている。

私たちはインドネシアから来た。

海が好きで、魚が好きで、この島を選んだ。

最初は言葉がわからなかった。文化も違った。

失敗しても、次があった。

「優しく教えてもらえた」という言葉が、

みんな共通している。

約60名が三高で働き、

それぞれの夢を育てながら、

まぐろをさばき、料理を作り、

後輩を迎え入れている。

ダニー・アディティヤ
05

お魚屋みーかがん リーダー

特定技能2号

ダニー・アディティヤ

国籍は違う。誇りは同じだ。

2012年に初めて日本に来た。三高でまぐろの解体作業を覚え、3年後に一度インドネシアに戻った。でも、また戻ってきた。「みんな優しくて、何も変わらなかった」。4年ぶりに会う顔が温かかった。

最初は、日本人スタッフの仕事ぶりに驚いた。「とにかく仕事が早い。そして、一つひとつを丁寧に終わらせてから次に進む」。その丁寧さが自分を変えた。会社は日本語の勉強もサポートしてくれ、いまはJLPT3級(日本語能力試験)を持っている。「勉強しないと成長できない。仕事しながらずっと勉強してきた」。

解体から店舗配属、そして店長になった。刺身を切り、惣菜を作り、スケジュールを組み、発注をする。お客さんの7割は海外からの旅行者だ。日本語も英語も使いながら接客する。「みんな仲良くやっています。国籍は関係ないです」。お気に入りのメニューは、自分でアイデアを出したロブスターの明太ソース。「外国人のお客さんの気持ちがわかるから、こういうのが好きじゃないかなと思って」。

沖縄は、ふるさとに似ている。暖かい気候、果物、ゴーヤチャンプルー。いつかインドネシアに帰って、刺身と生魚料理を出す居酒屋を開くのが夢だ。

ユダ・マウラナ
06

水産加工場 リーダー

特定技能2号

ユダ・マウラナ

どこからでも、夢は追えると知った。

インドネシアの水産高校で魚を学び、2014年に三高に入社した。入社当初、まぐろの解体に15分かかった。いまは2分で捌くという。10年で磨いてきた腕が、現場をいきいきと動かしている。

「三高の社員はみんな優しいです。失敗しても怒られず、学びの機会をくれました。日本人スタッフも、分かりやすい言葉で接してくれます」。その言葉が、10年以上ここにいる理由だと思っている。

2025年9月、特定技能2号のリーダーになった。10名から12名のスタッフに指示を出しながら、現場の安全と品質を守る。若い後輩たちが不安になる気持ちは、よくわかる。「ちゃんとモチベーションを保って、一緒にやっていくことが大事だと思っています」。

ここで働くうちに、自分の将来が見えてきた。いつかインドネシアに魚の居酒屋を開きたい。刺身や魚汁を、ふるさとの人に食べてほしい。でもいまは、この島で奥さんと子どもを育てながら、もう少し頑張るつもりだ。沖縄は海があって、気候が近くて、暮らしやすい。もう故郷と同じくらい、この島を愛している。

OTHERCHALLENGERS.

奥浜 慎之助
01

水産加工場 主任

奥浜 慎之助

現場叩き上げから次世代リーダーを目指す。

アルバイトで入社し、最初はタコのボイルや配送から始まって、まぐろの解体、朝市のセリ、量販店への営業補佐と、いろんな仕事を経験させてもらいました。20代後半からはインドネシア人スタッフのまとめ役になって、加工品の製造や在庫管理も担当しています。ここ1〜2年で、自分がやりたいことがだんだんクリアになってきた感じがしています。仕事で一番楽しいのはセリですね。一瞬でまぐろの良し悪しを判断して、値段を書く。あの感覚が好きで。いまはインドネシアの仲間にセリを教えているところです。彼らが自分でできるようになってくれたら嬉しいですね。新商品の開発にも挑戦したいと思っています。原料の配合から自分で考えて、ゼロから作り上げてみたい。日本人スタッフがもっと管理や教育の役割にシフトしていけたら、会社はもっと強くなると思っています。

銘苅 弘美
02

管理部長

銘苅 弘美

仕組みを変えにきた。

入社して驚いたのは、意見がとても言いやすいことでした。「まずはやってみて」と背中を押してくれる経営陣がいて、新しく入った私があれこれ提案しても、ちゃんと受け止めてもらえる。そのオープンな雰囲気です。入社してすぐ取り組んだのは、月次決算の報告タイミングの改善。2カ月遅れていた収支報告を、翌月には経営層に報告できる仕組みに変えました。仕組みをつくって、定着させる。それが私の得意なことなので。これからは、どんどんDX化を進めていきたいです。工場事務はアナログな作業がまだ多くて、改善することで、みなさんが休みを取りやすい環境にしていけると思っています。50歳でのキャリアチェンジって言われるんですけど、自分ではそんなに気にしていないんですよね。人生は長いから、楽しく生きた方がいいじゃないですか。三高に入って、毎日本当に楽しいです。

Shiina Chinen

求人票を見た瞬間にピンときて。三高一択でした。水産高校卒で、明確に「魚をさばく」仕事がしたかったんです。工場から刺身担当を経て、泊の新店舗オープンのタイミングで声をかけてもらって。いまはインドネシア人の男の子3人と一緒に店を回しています。お客さんの8割はクルーズ船で来てくれる外国の方。英語は得意じゃないけど、スタッフが助けてくれるので大丈夫です。お互いの文化を教え合えるのも楽しいですね。朝から来てくれるお客さんが多かったので、営業時間を9時から8時に変えたり、ホットショーケースを入れてからは売上が上がったり。小さなことでも自分で考えて動ける環境が好き。カラフルな髪もネイルも、三高ではOK。まぐろの解体ショーも担当していて、外国のお客さんが写真を撮ってくれます。「女性が解体する姿は、集客の武器になると思っています」。

まぐろ屋みーかがん 泊いゆまち店 店長

知念 詩菜

GISTIDAR Kurniawan

インドネシアの水産高校を出て、魚の仕事を続けたくて日本に来ました。三高に入ったのは2019年で、一度帰国してからまた戻ってきた。通算で7年になります。工場ではまぐろの解体を担当しています。カツやイカの冊なども。言葉がわからなかった最初の頃、同僚が仕事と一緒に日本語も教えてくれました。みんな優しくて、働きやすいです。いつかセリに挑戦したいと思っています。先輩たちがセリ場でまぐろを見て値段を書いているのを見て、エネルギーがあってかっこいいなと思って。チャンスがあれば、やりたいです。

工場勤務

特定技能1号

ギスティダル・クルニアワン

Raiya Nakamatsu

水産高校を出て、東京で貨物船の仕事をしていました。でも、やっぱり漁船に乗りたくて、沖縄に戻ることにして。ネットで三高を見つけて、「ここだ」と思って志望しました。入社してまだ1年目ですが、会社の人たちが優しく、期待が大きいこともわかります。毎日いろいろ教えてもらっています。漁船を選んだのは、まぐろを獲る仕事に純粋に惹かれたことです。実際に海に出て、やってみるのが楽しみです。挑戦しにきたんで、やり切るつもりです!

乗船員

仲松 来弥